説教塾

加藤常昭著 説教黙想集成1 解説 p19-20より

説教塾が目指す説教


C. 講解説教を主題説教の方法で


 主題説教を無視しておりません。主題説教をすることの意味を改めて積極的に評価しなければなりません。われわれ伝道者が、今日の日本社会、隣人を主イエス・キリストの福音に導くためにどうしても語りたいメッセージを与えられているかを改めて問わなければならないかもしれません。主題を得ていなければならないのです。そしてそのような福音のメッセージを明確にすることは、聖書の言葉を説くときにこそ大切だと思っております。私は講解説教を主題説教の方法で語ることが最も望ましいことだと早くから主張してまいりました。
 もっともこんなこともあります。一九四二年、既に戦時となっておりましたが、私は洗礼を受けました。やがて戦況が思わしくなり、またそれに比例するように国家権力のキリスト教会への干渉が激しくなってきた頃、牧師はイザヤ書の丁寧な講解説教を始めました。聖書を忠実に説くことこそ、戦いの最善の道であるという判断があったのではないかと思います。一握りの会衆が、しかし、とても緊張して、いささか難解な、長時間にわたる預言者の言葉の説き明かしに耳を傾けました。誇張でなしにいのちを賭けていのちの言葉を聴いたのです。牧師は、敬愛していた無教会の矢内原忠雄先生が、預言者を説き、あるいはヨハネの黙示録を説いて戦い続けた姿に学んだのかもしれません。更に考えますと、牧師はカール・バルト、エーミール・ブルンナーなどの著書を通じて神の言葉の神学に傾倒しておりましたから、そこで聖書を語る説教者の姿勢を学んでいたのではないでしょうか。
 事実、ドイツの教会もまた、ヒトラーと対決したドイツ告白教会の戦いを通じて、改めて聖書を説き、キリストを紹介する説教の意味を再発見し、そのような説教のありようを説く道を真剣に尋ね始めました。それが〈説教のための黙想〉を生んだのです。そこで目指していたことと、われわれが先輩に学びつつ今願っている説教の姿勢とは深く重なります。そこで説教塾セミナーでは、ドイツ告白教会の伝統から生まれた説教黙想を翻訳しては読むようになりました。ルター派を主流とするドイツ福音主義教会では、その伝統に従い、教会暦を重んじてきました。従って連続講解説教をすることはありませんが、主日礼拝では教会暦に従って定められた説教のための聖書テキストを説き明かす講解説教をしてきました。同じ主の日に説かれる聖書の言葉は、ほとんどの教会で同じ言葉になります。そこで説教者の説教準備の導きとなるように説教黙想が書かれ、刊行されております。それをわれわれも利用させてもらっているのです。